テキスタイルメーカーとして
変わること、
変わらないこと
わたしたち東陽織物は、
第1次世界大戦中の1917年に20台の織機とともにスタートしました。
以来100余年、激動の時代の中にあっても、常に着実に発展を遂げ、現在に至っています。
こうした発展の背景として、常に時代の動向を捉え、フレキシブルに変化してきた企業姿勢がありました。
時代の変化に応じ、現在では自社工場を閉鎖し、海外での委託生産形態(ファブレス)により、
テキスタイルの開発・生産を行っております。
生産形態は変化しても、「お客様が求める商品を、希望の品質、納期、コストで生産し、提供する」
という、テキスタイルメーカーとしての提供価値は、過去も現在も変わりません。
例えば、海外委託先工場への日本人技術者の駐在、自社現地スタッフの育成、
工場への技術指導などを通した関係構築の取り組みなどを通して、この価値を創出できる体制を構築しております。
これからも、時代の動向に合わせて、やり方は変えながら、
お客様、社会にとって変わらず必要とされる企業であり続けられるよう、
過去を誇るのではなく、常に未来を見つめながら、わたしたち東陽織物は、
さらなる可能性にチャレンジしていきます。
「越澤機業場」 創業
20台のシャトル織機で、和装向けの絹織物の生産を開始。
本社工場 建設
生産規模の増大に伴い、現在の本社所在地に工場を建設。絹に加え、レーヨン織物も生産開始。
「東陽織物株式会社」 設立
内灘工場 建設
ナイロン生地の生産拡大のために第2工場を建設。(〜1980年 閉鎖)
糸加工、整経、織布の一貫生産体制で、多用途の生機を開発・生産
設備の入れ替えを繰り返しながら、1990年には糸加工(仮撚、撚糸)、整経、織布の自社工場に保有し、一貫生産体制を構築。最大で80台のWJL織機、13台のレピア織機を有し、婦人衣料、和装、機能資材、カーテンなどの生地を生産。また1986年には、津幡に研究開発センターを開設し、積極的に糸、生地の開発を行う。
インドネシアの現地ローカル工場への技術指導
本社工場で培った生産技術をもとに、インドネシアの現地ローカル工場へ技術指導業務を実施する。その後の海外進出の足掛かりとなる。
遮光カーテン生地の自社開発を開始
革新的な遮光カーテン生地の自社開発を開始し、自販を進める。
自社工場閉鎖、海外ファブレス生産体制へ移行
中国などの海外製生地の台頭、国内委託先の縮小などの外部環境の変化を踏まえて、国内工場を閉鎖し、海外でのファブレス(委託生産)体制へ移行する
カーテンの企画・販売会社「株式会社テキスタイルデポ」設立
ベトナムでの委託生産(織布) 開始
日本人織布技術者が単身ベトナム委託先工場へ渡り、日本向けの遮光カーテン生機の海外生産を開始する。現地工場への技術指導を行いながら、品質確立を進める。
ベトナムでの委託生産(染色) 開始
インドネシアでの委託生産(織布・染色) 開始
生機に続き、日本人染色技術者が渡越、工場に駐在し、ベトナムでカーテン、スポーツ・ユニフォームなどの衣料向け生地の染色加工を開始する。
中国での委託生産(織布) 開始
中国の原料や生産背景の活用、中国国内での生地調達の要請に応えるために、中国での生機生産を開始する。
ベトナムで綿混織物の生産開始
ベトナムの新たな生産拠点にて、AJLによる綿混織物の生産を開始する。
ベトナム現地法人を設立
ベトナムでの生地販売を拡大するために、現地法人をベトナムに設立する。ベトナムでのカーテン生地の内販も開始する。